rakontoj el oomoto 17 of EPA


Rakontoj20el20Oomoto.jpgRakontoj el Oomoto『大本物語』
定価2,700円(税込)
ローマン・ドブジンスキー著
和訳 矢野裕巳 

第17章
SURVOJE AL MIROKU-MONDO
みろくの世への途中で


 金の竜の海の上でー 金龍海で人がボートに乗っています。その人達の祈りの声がリズミカルに聞こえます。ボートは一瞬石橋の下に消え、再び反対側から出てきます。乗船者はボートの中でひざまずき、祈りを続けます。青と白の祭服を着た祭員は、ボートの後ろに立ち、長いさおで船を押して動かします。金龍海は、実は、神苑にある小さな池で、綾部大本本部内にあります。1979年以来、毎年5月5日、春の大きな祭りーみろく大祭が行なわれます。もっとも1928年、出口王仁三郎教祖が56歳7ヵ月に達した時に、この祭典が始まりました。567と言う数字の組み合わせは、仏教では弥勒菩薩の意味を持ちます。みろく大祭で大本信徒は,地上にみろくの世の実現を祈るのです。


 出口王仁三郎はすでに、第一次世界大戦時に池の為の大きな穴を掘るよう命じていました。その骨の折れる作業は、見当違いのように思われました。というのも、水源はどこにもなかったからでした。しかし、教祖は折れませんでした。教祖はよく出張し、ある時、穴掘りを継続する指示をして出かけました。しかし、留守中、作業は止まっていました。綾部の住民は、大本さんが水のない池を作っている、とからかっていたそうです。出張から帰った王仁三郎は激怒し、池作り計画が完了するまで、作業を継続するよう命じました。ところが、まもなく、池は水で満たされました。町で、緊急に火災に備えた水の貯水池が必要な事が明らかになったのでした。質山から町へ水導管の建設計画ができました。それには、大本本部の敷地を通らなければなりませんでした。1917年11月16日、市の顧問達それぞれが、大本へお願いにやってきました。願いが受け入れられ、やがて、建設作業が始まりました。水のない池もまた、底から水が満ちた池になりました。


 春の大祭には、何千人もの大本信徒が綾部にやってきます。彼らはとても美しい花盛りの季節に、宗教行事を楽しみます。特に、引きつけられるのは、その時の金龍海です。心地よい祈りの声に満ちた船が次々と揺れて行きます。島の間を巡り、乗船する修行者は下船してお祈りを続けます。池には、各大陸を示す島があり、全世界を表します。二つの島は独自の名前と意義を持っています。沓島と冠島です。同じ名前で実際に存在する島の型です。沓島、冠島は日本海、正確には、若狭湾に位置します。大本教義によれば、東北、艮の位置で、艮の金神、別名、国常立尊が長きに渡りお隠れになっておられた所です。大本開祖、出口なおにかかり、なおを通して、神の啓示であるふでさきを書き取らせました。1900年、なお、王仁三郎によってなされた島開きを記念して、信徒は10年ごとに、本来の島に現地参拝します。しかし、毎年、綾部では、型である島に近くからお参りします。


 大本は4つの大きな祭典、大祭を行ないます。2月の節分大祭、5月のみろく大祭、8月の瑞生大祭、11月の大本開祖大祭です。最後の大本開祖大祭は、開祖昇天を記念し、祈りが捧げられます。敬虔に開祖の言葉と艱苦を思い起こすと同時に、秋の収穫を感謝します。3つの大祭は綾部で、残りの1つ、瑞生大祭は亀岡で行われます。私は上半期の6ヵ月間を大本で過ごしたので、夏と、秋の大祭には参拝する事ができませんでした。他人の話を通じてしか、わかりませんが、あとの2つの大祭と同じように、豊富な文化行事を含んでいるようです。8月の瑞生大祭前には歌祭が開催されます。詩文の祭典について言えば、その祭典の中で、短歌が詠唱、朗詠されます。民衆の踊りである、みろく踊りのコンクールも開かれます。丹波地方の民間芸能から王仁三郎が取り入れた踊りです。


 節分大祭は大きな根源、言い換えれば、大本の始まりを思い起こさせます。みろく大祭は、最終的な目標への展望を開きます。つまり、その目標は、理想的なみろく世界の実現です。大本教義で正確に言えば、それは、みろくの世であり、地上の神の国として翻訳されます。みろくは仏教思想のマイトレーヤーの日本語バージョンです。仏、あるいは、最高の倫理、愛の神とも呼べます。中国ではこのマイトレーヤーの単語は発音が変化しています。漢字を用いた音訳で書かれるからです。日本で仏教が広まった後、さらに「みろく」と変わり、語源との語形論的結び付きが失われました。


 熱望されるみろくの世は大本神書の中に、何度も現れます。その教えによれば、仏教のマイトレーヤー(弥勒菩薩)の概念とは異なります。地上の神の王国として、もっとも崇高なる哀れみ、愛、徳、善、美、の神によって支配されることが啓示されています。出口王仁三郎は書いています。みろくの世界が実現すると、まことの花が広がります。つまり、貴族も一般の人間も豊かになり、人は従順になり、神の威厳と徳が栄え、そして、うまく進んでいきます。別のところでも、読む事ができます。感謝を持った人間は、幸福な人生を純粋な魂の遊びの中で楽しみます。つまり、理想的なみろくの世は、悪の世界である悪の世の反対です。悪の世の崩壊は、1892年2月3日、出口なおによって啓示されました。私、艮の金神は、世界の立て替え、立て直しを遂行するために現れた。国常立尊は東北、つまり艮から立て替えの計画を持ってやってきました。立て替えは悪の世界をつぶすことで、立て直しは、世界を地上の神国として再建することです。これは、みろくの世界を創造する始まりなのです。


 みろくの世とはどのようなものになるのでしょうか? 上記の引用によって、その大まかな特徴は知り得たと思いますが、さらなる詳細は大本の神書にあります。国常立尊は、出口なおへの最初の啓示のなかで、強いものが、力ずくで弱いものを支配している現代を獣の世界とみなしています。それとは違って、地上の神国は、そう言ったものが"ない"世界が思い浮かびます。不正義がない、憎しみのない、不和のない、争いのない、殺人犯罪のない、盗み、欺瞞、ごまかし、飢餓、大災害、民族人種への差別のない世界です。みろくの世には、われよしがないのです。われよしのない世界の中で、貧富の差は消えて行きます。われよしは悪を作り出し、暴力が弱いものを支配する、それは戦争の根源です。立て替え、立て直しによって、神の世界が実現し、そこでは人は、上も下も、すべての人が平等に楽しく暮らすのです。 

 神の世界では、汚れなきエネルギーが必要に応じて与えられます。信条に応じ、相応の地位において、ふさわしい人に仕事が与えられます。人は日中だけ働き、しかも3時間以内の仕事で、長期の休暇を楽しみます。結果として、寿命ははるかに長くなります。大事な事はどのように自由時間を使うかです。このような時間は、人間性を深めるために、捧げるべきであり、決して賭け事のような有害な娯楽に夢中になったり、敵対的に他人を扱ったりしてはいけません。そう言った理想的な世界が実現すると、文化、芸術、宗教の役割はより、優先されます。こういったことが、開花するのです。


 みろくの世は、一つになった世界で、国境はなく、人々は自由にどこでも空中を旅行します。高速の乗り物、空飛ぶ乗り物で、世界のどこへでも数時間で到着できます。その旅行チケットは小さな駅でも買えるようになります。王仁三郎は海底の電話局も予測しており、素晴らしい地下都市として東京を幻視しています。王仁三郎は腕時計サイズの機器で、顔を見ながら、世界中どこにいても会話が出来ることを予測しています。また、文字を書いて、それを空中で、何千キロも離れた場所に送る方法が存在するだろうと予言しています。出口王仁三郎は、こう言った奇跡のような事を100年近く前に語っています。その時代の人間の誰が、携帯電話やインターネットを予測していたでしょうか?


 地上天国はあたかも、共通の通貨を持つ、一つの大家族の家のようです。共通の言語も?明らかに、多くの地域の言語が存在しますが、共通の言語も必要です。しかし、その共通言語は日本語やその他の難しい言語や力で押し付けられた言語ではありません。共通言語は、習得が容易で全く中立でなければいけません。その役割を果たすのが、エスペラントです。同様に、宗教は、それぞれの特徴をはっきり示しながら、無限絶対無始無終の特性をもった唯一神として、全宇宙の同じ根源的霊魂の存在を承認する事で、連帯性を持つようになるでしょう。もし、この土台の上に、全ての宗教が結びつくのなら、民族間の、そして人々の間の争いが示す宗教的不和の原因は消えてしまうでしょう。こうして、大本の教え、一つの神、一つの世界、一つの言語が実現するでしょう。それが、どのように、そしていつ行なわれるかは解りません。立て替えは短期間に遂行可能ですが、立て直しは非常に困難です、というのも全てを変えてしまわなければならないからです。


 最初に国常立尊が啓示を行なった11年後、変化を暗示させながら、梅と松の比喩を繰り返しました。梅は、氷のように最も寒い時期に開花の準備をし、すべての花のうち最も長い苦しみを耐えます。それにもかかわらず、香りが良く、純粋に素晴らしい花で、良き実をつけ、食用、薬として活用されます。結論として、神は警告します。大本の御神業は集められた苦しみを基礎にして、花開くと。一方、松はその常に変わらぬ緑色を用いて、元来、変わらない直霊と高貴なる心を示しています。世界の刷新において、人々の霊魂を再び善にし、秩序立てるのです。それでも、改心しない霊魂は自然淘汰されますが、その苦情は世界中のどこでも受け入れられません。


 みろくの世ほど素晴らしい世は、過去にもそして未来にもありません。現代の世界の貧しい人達は、みろくの世になると、比べるものがないほどの幸福を甘受します。そうして、喜びと勇気を持って神の正しい道を進みなさい。神を礼拝するために、大本へ来なさい。救いの神は大本に存在します。大本信徒の数で評価するのではなく、その質で計ってください。というのも、ここ大本は、その他の教会と違って多くの信徒を集めて満足するわけではありません。大本へ引き寄せられる宿命の霊魂が集められ、それぞれの役割を受けるのです。


 今も大本はまだ、初期の段階で、信徒は皆、苦労が絶えない。しかし、神の計画が実現すれば、大本は世界のどこにも同じものが見られない素晴らしいところになる。その偉大なる根源の中で、大本は型の特権を持っています。型という日本語には模範という意味が含まれています。見なさい!この大本に起こった事を、それが世界に現れるのです。詳しく記録しておきなさい、大本で起こった事を、そしてそれがいつなのか。この大本で、実際に世界で後に起こる事を示すことができます。一方、大本は世界の鏡であると言えます。世界で起こるすべての事柄は大本にも現れるからです。


 型の大本として、多くの事実が記録されています。大本信徒は、とりわけ第二次大本事件を示唆します。1935年12月8日早朝、700人以上の警察官が大本本部を急襲します。まさにその6年後、1941年12月8日、これも早朝に日本軍が米国軍事基地である真珠湾を攻撃します。そして太平洋戦争が始まります。1936年4月18日、国家機関が綾部、亀岡の全ての施設の破壊を命じました。6年後、1942年4月18日、米国空軍の東京空襲が始まり、日本全土に広がります。1945年9月8日、第二次大本事件が解決され終了。6年後、1951年9月8日、正式に太平洋戦争が終わり、日本はサンフランシスコ平和条約に調印。大本教祖、出口王仁三郎は1935年に逮捕され、6年と8ヵ月監獄生活に苦しみました。同じ期間、1945年から1952年まで連合軍による日本占領が続きました。


 大本の模範的な役割は、私にとって日常生活のなかで、観察できます。互いの尊敬と心遣い、優しい会釈、誠実な微笑み、どんな物でも両手で渡すこと、それぞれが人間関係のなかで満ちています。シルバー世代となっ私が継続した特権として感じます。その振る舞いは、日本では普通でしょうが、大本ではより自然のように思われます。みろくの世のミニチュアとして、大本はそのように存在しています。それは、みろく村です。綾部梅松苑の地にあります。この現実のみろくの世界には、陶芸場、機織り場があります。もっともスペースをとっているのが、模範的な野菜畑です。そこでは、もっぱら自然肥料が使われています。出口紅5代教主がお世話されています。
 農業は、大本活動の中で、重要視されています。外郭団体であるみずほ会が中心になっています。みずほ会は第二次大戦後に設立されました。当時日本人は食料不足に悩んでいました。みずほ会は全国で活動を展開し、農業技術や農業経営の向上に貢献し、日本の食料危機を解決しようとしました。


 大本は島本酵素の普及でも有名になりました。島本覚也の発明について言えば、彼は自然肥料の使用により有機農法を促進させました。大本信徒の農業従事者は、信仰と農耕の統一と言う点で、自分達の農業に化学農法を用いることを避けています。すでに証明されているように、化学農法は可耕地に悪影響を与え、生態的バランスに支障をきたします。私は、亀岡の万祥殿で田んぼでの仕事始めのお祭り、苗代初め祭に参加した事があります。5代教主は象徴的な籾まきでその始まりを告知されます。


 1910年4月15日、出口なおは、次のような啓示を表しました。日本は艮、世界の東北に位置する国で、艮の金神をこの国の元々の、まことの守り神と呼んでいる。しかし、これからは、日本だけでなく全世界を守る。大本信徒は、この艮の金神の啓示、自分達の活動の動機付けを、世界連邦運動や世界市民運動のなかに、見いだしているように私には思えます。世界連邦運動は1947年、特にアルベルト・アインシュタインの主導によって設立されました。最初から、この国際的非公式な組織の中で日本は重要な役割を果たして来ました。大本は、その外郭団体、人類愛善会を通して、この分野で活動しています。紫水ヶ丘の上から壮大なパノラマが、綾部市、大本梅松苑の神苑に広がっています。山の上にはドラの記念碑がたっています。その記念碑は1950年10月14日、日本で初めて、綾部が世界連邦都市として宣言した事実を喚起させてくれます。続いて、亀岡市が宣言し、現在では350の市が宣言都市となっています。


 1945年の吉岡発言では、出口王仁三郎は、真の世界平和は全世界の軍備が永久に撤廃されたときに、初めて実現されると宣言しました。それは、大本信徒にとって、みろくの世への道しるべでした。大本は核実験に反対するキャンペーンに加わり、広島、長崎への破壊の記念日には、それを思い起こさせるようにしています。型、模範としての独自の役割の中で、大本はあらゆる形の差別に反対し、愛善信光会を通して社会慈善活動を展開しています。その初期の活動は、身障者に対する支援でしたが、現在では社会条件の変化で、保育園の活動を中心に行なっています。


 大本は、1998年、脳死と移植に関する法律に反対するキャンペーンを開始しました。街頭で署名を集めました。その活動には出口聖子4代教主が積極的に関わり、87万もの署名を集めました。大本は、脳死が人生最期の境界線で、その体が移植に使用できるという考えに反対しています。大本の教えでは、生命の本質は霊魂にあります。現界での命は、肉体と霊魂の分離によって終了します。それは、最終的な心臓の鼓動停止によって終わります。その時になって初めて、人は霊魂によって次の人生が継続されるのです。この真実の軽視は、霊魂の存在を無視し霊界での永遠の安定性と幸福へ支障をきたします。そのような移植は、大本によれば、野蛮なる治療で、人がお互いに共食いしている事と、比較されます。批判された法律は認可され、1997年から実施されています。


 宗教の統一を目的とした考えを、綾部のみろく殿が映し出しています。とても美しい日本式の建物で、1953年に第二次大本事件ですべてが破壊されたあと、初めて建てられた神殿です。1977年の節分大祭で、ニューヨーク、聖ヨハネ大聖堂のジェームス•パークス•モートン聖堂長が、みろく殿神殿に厳粛に十字架と聖別された祭典道具を置き、キリスト教の祭典を行いました。殿内に常設のコーナーが置かれ、その中にある中世のチェンストホーヴァ(ヤスナ・グラの聖母)のイコンが私を驚かせました。まさに、ポーランドのカトリックを代表するものです。神秘的な道を経て、私は探索できました。みろくの世を象徴する日本式建築物の中で、ポーランドの黒い聖母に巡り会えたのでした。


(続く)その18