rakontoj el oomoto7 of EPA


Rakontoj20el20Oomoto.jpgRakontoj el Oomoto『大本物語』
定価2,700円(税込)
ローマン・ドブジンスキー著
和訳 矢野裕巳 

第7章
HOMO ESTAS DIO
人は神なり

 切り立った岩の多い丹波山系の細道にそって、祭官服をまとった祭官が、足には下駄をはき、苦労して山を登っていきます。下駄という単語は、エスペラント語彙への大本の貢献を認識させてくれます。下駄はPIV(Plena Ilustria Vortaro ) では次のように定義されています。「日本のサンダル。木板で出来ており、その上部に足を滑り込ませるV字形のひもがあり、底には横へのはりが通っており、そこが地面と接している。」ところで、上記(既出)の辞書では、そのような厚底の履物で動くのがいかに困難かという説明がありません。祭官と平服の信徒はかなり重い荷物を、岩の多い高熊山の洞窟前で祭壇を準備するために運んでいます。最後に私たちは切り立った崖の上に到着します。そこからは、壮大なパノラマが穴太渓谷に広がっています。

 現在穴太は亀岡市に含まれていますが、上田喜三郎が生まれた1871年当時は、別の村でした。村の谷の上に位置する山が、高熊と呼ばれており、「高い熊」と翻訳できます。過去数千年の間に、何度も山の名前は変わりました。山は伝説を用いて脚色されてきました、とりわけ5世紀に支配した武烈天皇に関して。天皇の息子は山にこもり、運命として座るべき皇位を捨て去り、そこで生涯を過ごしました。伝えられるところでは、ずっと以前に高熊山には開化天皇が祭られた社があったとのことです。崖っぷちには洞窟があり、27歳の上田喜三郎は、1898年旧暦2月9日から15日まで苦行を行いました。


 祭官が臨時の祭壇を洞窟の前に準備している間、私はカメラで、吾郷孝志エスペラント普及会事務局長の話を記録します。「大本信徒は出口王仁三郎聖師が1週間の修行を行なった高熊山によく登ります。霊界への聖師の訪問を記念して、信徒は毎月12日に月次祭を行なうようにしているのです。聖師は詳細に天界、中有界、そして地獄界がどのようなものかを記述しています。」


 およそ20年が過ぎ、上田喜三郎は、出口王仁三郎となって自分の霊的空間への探検旅行を、神書として大本で認定された霊界物語の中で、記述しています。エス訳はRakontoj el la Spirita Mondoで、1926年以来、パリで出版されたOomoto Internacia 誌で部分的に掲載されました。霊界物語は正式に前田茂樹によって翻訳され、ブラジルで再びOomoto Internacia 誌に掲載されているのを知った時、私はすでにこの本を書き始めていました。興味を持って、私はその出版された作品の一節を読みました。

 王仁三郎は具体的なイメージで(ビジュアル的に)霊界を紹介しているので、彼の記述は私には映画人が制作に台本を用意しているように思えました。出口王仁三郎は通常、自分では執筆しないで、口述筆記させました。多分そのためか、彼の文体は驚くほど流暢(流れるよう)です。霊界からの話を土台にして、著者との興味深いインタビューを著すことができたのだと想像します。もし、苦行(修行)について、質問を投げかければ、出口王仁三郎は次のように答えるでしょう。
 普通、一般の人の多くは、修行といえば霊的世界を目標に、困難で苦しみに満ちた修行を、俗界から遠く離れた深い山や谷で行う事と考えているように私には思われます。山の神の社にこもり、湯も何も飲まずに断食し、料理に火も使わず、風変わりな苦行を行い、裸足、裸で奇妙な動きを伴い、熱に浮かれたように神や仏に祈ること。そして人は自慢げに、それによってすでに、徹底的に修行を終えたと考えています。
 修行は、それ自体の意味において行動なので、その第一義は現界での大きな活動でなければなりません。そして神の支配の中で、誠実な天地の神への奉仕でなければならないのです、物質界、精神界の統一性、霊体一致の真実に従って。もし、ある人が、奇妙な振る舞い、薄暗い森での風変わりな修行に夢中になり、たとえ1ヵ月でも社会の仕事から離れたとすれば、それは何よりも社会自体が被る1ヵ月の損失になるのです。つまり、その人は神界でサボタージュし、ストライキしている事になります。神界での修行について言えば、最も重要な事は生産的、文化的、進歩的、そして発展的な仕組みへの努力でなければならないのです。
 歴史は沢山の修行の事例を知っています。たとえば、釈迦は数年間熱心に修行しました。なぜ、出口王仁三郎は1週間で十分であったのですか? 前者と後者の人生を比較してみれば、回答は出てきます。釈迦は福者で、皇太子として生まれ、全く世間の厳しい波風を体験していませんでした。だから数年の間、種々の苦しみを味わなければならなかったのです。それに比較して、出口王仁三郎は極めて貧しい家庭に生まれ、高熊山での修行のずっと前から現界でのすべての困難を経験していました。高熊山で修行を行う前に、私はすでに社会で、27年間辛酸をなめる修行を果たしてきていました。だから、私の高熊山での修行はいわば、社会での修行の仕上げ式と言えます。生涯、最初で最後の演習でした。

 高熊山での修行は、鎮魂帰神のユニークな形式と考えられます。極東の瞑想の方法について言えば、人が物質的肉体から離脱し、神の霊と一体となる事を助けるのです。鎮魂帰神は大本の出版物に何度も記述されています。出口王仁三郎の修行はどのようなものでしたか?
 高熊山での修行は次のように進められました。私は、1時間の神界(霊界)での修行の後、物質界(現界)で2時間の修行が義務づけられました。しかし、神界の1時間の修行は、現界の2時間の修行の数十倍も苦しかったのです。現界の修行は、薄い襦袢で、凍える寒空に無言で岩の上に1週間、水も飲まず、食べ物も取らず、座り続けることでした。その間、雨や凍りつく風に打たれました。夜中でさえ、狐や狸の吠える声も、虫の声も聞こえませんでした。しばしば、山が倒壊するかのような、グロテスク(奇怪)な、なんとも表現出来ない、不快で恐ろしい声、奇妙な騒音が私の耳を打ちました。

 私は老人からよく聞いていました。この高熊山の霊(主)は巨熊であると。そして、巨熊は夜、人を見つけると、その人の人生は終わります。人を引き裂き、松の枝に吊るすのです。ああ、まさにこの夜、私はこの巨熊にビリビリにされて死んでしまうのであろう。その瞬間、私の心臓は強く鼓動し始めたのでした。ああ、私はすべてを神のみ心に委ねよう。私は自分のすべての力を腹部に集中させました。その瞬間、実に全く驚くべき事に、私の巨熊に対する恐怖心は勇気に変わり始めました。そして、そのうなり声を愛しく、懐かしく感じ始めました。最も慈悲深い、活気ある神の霊が、世界中の全ての生き物に授けられている事を、私はまさに納得したのでした。と言うのも、そのような猛獣でさえも、寂しい時には勇気を与えてくれるからです。ましてや、すべての生き物の王(万物の霊長)と言われる人はもちろんです。ああ、なんと自分はもったいない、罪深い人間だったのか。実に、日々、他の人に無関心でいたのか。世界中の人を憎み、傷つけ、敬意を示さず、あるいは傷つけてきたのか。たとえ、敵、悪人の中にも、神の霊の断片が宿っています。人は神です。否、人だけでなく動物も植物も、すべては私たちにとって必要な力であり、頼りになる支えであり、神の断片です。
 自分の力だけでは、人は決して社会で成功できるものではありません。もし人が、四恩を無視するなら、人間性を発揮することが出来ません。人はお互いに支え合い、助け合わなければなりません。人と呼ばれている限り、その人を優しく取り扱うべきであります。たとえその人の心が、人食い鬼や蛇であっても。それに、ちょとした不快、損得に関する利害関係で、人がお互い憎しみ、嫉妬し、争うとは、何と矛盾し、不誠実であろうか。人は神です。人を除いては、どこに私たちを助けてくださる神がおられるでしょうか?
神界において、神はもっとも大きな助けであり、支えでありますが、物質界(現界)ではまさに、我々を助けてくれる人こそが、真に活気ある、そして尊敬に値する神であります。そのように心から感じると、私には人は尊敬すべき、ありがたいものだと思うようになりました。そして、人を乱暴に扱う事は、天地の神に対する大きな無礼だと、私は深く理解しました。これは、すべての生きとし生けるものへの、私の愛と慈しみの芽生えであり、非常なる名誉と大きな神の仕組みに仕えるための基礎的演習でした。

 現実的な、すなわち肉体的修行の苦しみについてのもう1つの話が続きます。

 さて、私が最も感謝に値すると感じたのは、水でした。1週間の間、私は水のしずくさえ口に入れる事が出来ませんでした。時々刻々、私は喉が渇き、表現出来ない苦痛がありました。何か、それがたとえ、湿り気のあるもの、何でも、泥水でもいいから渇望しました。木の葉でも噛む事ができれば、多分その中には、ほんの少し水分が含まれているでしょう。しかし、1週間いかなる飲み物、食べ物も取る事は私には許されていなかったので、私のすぐそばにある木の葉1枚さえ口に入れる事が出来ませんでした。しだいに、私は空腹となり、段階的に力が衰えてきました。しかし、神のお許しなくして、一握りのお土も口にする事はできませんでした。私は、固くてがたがたした岩の上に、直接座っていたので、強烈なすねの痛さで、我慢出来ない苦しみを体験しました。凍てつく風が、私の肌を切るように激しく吹きました。

 私が無意識に空の上方を見ると、雨後の風に揺れた松の露がしずくとなって、私の唇に落ちてきました。私は無意識にそれをなめました。ああ、何と甘いのか! その味はなにものにも比較できません。ネクタル(不老不死になる、神々の飲み物)とも比較できないぐらいでした。
 この事について考えてみると、水を火にかけ、暖め、その温度について不平を言う態度は、いかにもったいない事だと心から悟りました。神の許可なくして、私は木の葉や草さえ、食する事が出来ませんでした。そして、どれほど衣服を持っていようと、それを身につける事は出来ませんでした。実に、あたかも飢餓の世界での修行でした。それでも、そのお陰で私は水の恩を知り、衣服、食物、住居の大恩を理解出来、いかなる贅沢にものめり込まなくなりました。いかなる困難に直面しても驚かず、悲しむ事もなくなりました。私は、いかなる対立、ののしり、からかいも恩恵であり、感謝であると感じる事ができるようになりました。したがって、私は毎日の生活を、恩義を感じながら、静かで落ち着いた姿勢で楽しむ事ができました。これらすべてに心からの感謝を感じることは、まさに修行のお陰と考えています。

 しかし、それにしても空気は、衣食住の何よりも、人にとって尊敬に値し、ありがたいはずです。飲み物や食べ物は、たとえ10日や20日でさえ取らなくても死に至る事はまれですが、空気は全く別で、人が、わずかに3分間でも呼吸しなければ、即座に死に向かいます。この修行中も空気を吸うことが、私に許されていた事は、実に神様の果てしない哀れみであったと私は思います。
 人は衣食住の大恩を知らなければなりません。そして、同時に、空気の恵みにも感謝しなければなりません。しかし、今まで私が語ってきたのは、物質界について、あるいは、高熊山で行なわれた修行全体の肉体的側面についてのみの修行でした。


 高熊山での修行の主なる特徴は、肉体と霊魂の離脱が、高熊山の洞窟で行われる事にあります。出口王仁三郎によれば、霊界についての修行は、私が今まで言及してきた物質界ほど単純で容易ではありませんでした。それは、数十倍、数百倍あるいは、それ以上に苦しい実習でした。
 そのかわり、報酬として、霊的修行は計り知れない効能をもたらしてくれました。
 私の霊的能力の進歩は極めて速かったのです。霊に関する学習は、列車、飛行機、そして雷よりもはるかに速いスピードで進歩したように、私には思われました。別の表現で言えば、それは、まるで、まばたきする間に、幼稚園で学ぶ者がいきなり大学に入り、大学での全学習を終えて博士号を取得したようなものでした。私は過去、現在、未来を見通し、そして神界での神秘を解く鍵を発見しました。言うまでもなく、私は数百年後、あるいは数千年後でさえ、物質世界での起こる事柄を予見する事ができました。
 しかし、私は、まだ詳細にそれを明らかに出来ないのが残念です。全ては神様の秘密ですから。



 それでも、出口王仁三郎は、霊界についての極めて興味深い話を著わす事が許されました。
 霊界には3つの大きな区分けがあります。すなわち、天界、中有界、そして地獄界です。天界は善の神々と善の人の霊が静かに住む地区であり、地獄界は悪の神々と落ちて来た罪人が集まる地区です。天界は神聖で、最高の善、美、光、そして喜びに満たされ2つの神界に分割され、共に3つの階層に区分され、それぞれの階層に上、中、下の3つに区分された霊が暮らしています。地獄界もまた2つに分かれています。すなわち暗闇の国と、どん底の国で、どちらも、3つの階層に区分されています。これら3つは犯罪人の住むところで、果てしなく悪であり、醜く、そして苦しみに満ちています。自己の罪の重さ、大きさに合わせて、これらのどこかに霊が落ちてくるのです。霊界物語には、計り知れない空間のすべての部分についての記述があり、リアルタイムだけでなく、過去、未来も含んでいます。まず、人はどのように現実の世界から霊的世界へと越えていくかを知ります。



 さて、神の使いである、芙蓉(仙人)の案内で霊界の探検旅行を始めました。もちろん、私は高熊山で座ったままで、霊だけが、肉体から離れていきます。
 私は何百万里もの距離を進みました。まるで、地面をわずかにかするように、宇宙船よりもはるかに速いスピードで。そのようにして、およそ10分間行った後、芙蓉は大きな川のそばで止まりました。
 「ほら」と芙蓉は私を振り返って。私たちはついに霊界の境に到着しましたよ。
 その川は最初の一目では非常に深く思えたものの、私が徒渉し始めると、それほど深くないことがわかりました。川の水が洗い落としたのでしょうか? 不思議な事に、私の青い服はすぐに、雪のように白く変わりました。
 私の服の一部が水に浸っていたのかどうか覚えていないのですが、私の服は肩の部分までも、すべて白くなりました。この無名の大河を徒渉して、私は、芙蓉と共にうまく向こう岸にたどり着きました。岸に上がってすぐ、徒渉した場所を眺めて、とても驚きました。水の流れは私の目の錯覚? そこには、実に何百万もの大蛇が群がり、それぞれが、頭をもたげ、炎が燃え立つ舌を口から出していた。そのような状態で、多くの人は、旅行者に見えるのだが、次々と渡ってやってきます。私がそうしたように、衣服のすそを巻き上げて。恐らく、彼らもその偽りの川を本物と思っていたはずです。不思議な事に、彼らの服は突然さまざまな色に変化しました。黒色、黄色、焦げ茶色などに。
その時、どこからか、突然、5、6人の男が恐ろしい顔つきで現れ、次々と名前を呼び上げ、その旅人の服に切符のようなものを貼り付けました。そして、彼らは旅人に、すぐ立ち上がるよう、せき立てました。旅行者はめいめい前に進みました。そして、およそ1里ほど歩いた後、市役所に似た建物の前に来ました。その建物から4、5人の守衛が現れ、めいめいの服から切符を取り始めました。変化した服の色に合わせて、ある者からは上着を1枚、ある者からは2枚脱がせ、また別の者は完全に裸にしました。また、服を全く取られない旅行者もいました。さらに、守衛が他の旅行者から脱がせた服を1枚、あるいは数枚着せられている者もいました。中には7枚、8枚と着せられ、苦しみに満ちた表情で立ち去る者もいました。旅行者は、各々割り当てられた場所に送られました。そのために、1人の守衛が、それぞれの旅行者に付き添いました。

 霊界物語の次の章は、中有界、キリスト教で言う煉獄への訪問が著述されています。この罪を清める領域を支配している老神は、27歳の上田喜三郎が将来世界救済の仕事を実現させる為、地獄界、天界を探検する事を容易にしたのでした。中有界から立ち去る前、高熊山の修行者は、自分の頭に聖なる呼吸を感じ始め、その時、彼は、自身の全霊へ注がれる、限りなく大きな力を授かりました。おそらく、その力なくして、上田喜三郎は霊的空間への探検修行中、その苦しみに耐え、危険に対応する事はできなかったでしょう。そして、その体験を、彼は、後に、出口王仁三郎として、見事に霊界物語の中で、著述しています。大本教祖の教えから、特に次の事が結論づけられます。神なき人は能力を発揮出来ない、同じように人なき神も同様である。人の働きがなければ神は全能ではないのです。


(続く)その8