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Rakontoj20el20Oomoto.jpgRakontoj el Oomoto『大本物語』
定価2,700円(税込)
ローマン・ドブジンスキー著
和訳 矢野裕巳 

第3章(原文p26〜p36)
UMEFLORE, PINKOLORE
梅の花のように、松の色のように

 灰色の空が雪片をまき散らしています。そして、黒く、まだ葉っぱのない梅の枝や白い花にくっついています。私はカメラを携え、撮映し、映像をとらえます。次のようにタイトルをつける事ができるでしょう。雪片は生まれようとしている命を凍えさせている。 数日後、雪雲は通り過ぎます。空は明るくなり、太陽の光で満たされます。雪片は結晶のように輝き始め、装飾品のような水滴へと、少しづつ形を変えていきます。水滴はリズムに合わせて、地面に落ちていきます。ともかく、私は新しい光景をカメラに収める機会を楽しんでいます。花は雪に勝ちます。
 梅の木は西洋スモモで、日本ではすでに古代より知られています。葉が現れる前、冬に、勢いよく花開きます。5つの花弁をもち、白あるいは、薄紅色で香りのいい花です。梅は春の開拓者として考えられています。旧暦で、春は2月4日に始まります。太陽軸が赤道と315度になるときです。梅の木は冬に咲く鑑賞樹として、また、早く熟する黄色のプラム(西洋スモモ)として好まれています。通常、まだ熟していない時に摘み取られ、漬け物にし、広く副食(おかず)として1年を通して食べられます。あるいは、砂糖を加えてアルコールで酢漬けし、梅酒として消費されます。

 大祭にお参りするため、数千人が、日本各地から、また海外から綾部にやってきます。ご神殿の前方では人型を書いている人達がいます。その後、人型は瀬織津姫と祭官たちの手に渡ります。人型は素焼きの壺に入れられ、ご神前の前に置かれ、参拝者は共に、お祈りをします。

 2月3日の夜から4日まで、私のカメラは、この光景に似た数日前の場面を記録しています。すなわち、どんよりとした空を背景に、数千の雪片が空中に漂っているように見えます。実際は、人型と呼ばれる紙片です。旧暦のお正月、大本の人々は、人の形がデザインされた紙の用紙を使い、その紙に自分の名前と住所をしるします。この、日本における宗教文化の要素が、大本で、大潔斎神事として発展しました。私は、その場面を綾部の節分大祭で注意深く観察しました。節分は、季節の変化という意味です。つまり、冬から春への移行で、同時に、旧暦では新しい年の始まりです。

 真夜中に入る前、印象的なショーが始まります。数千人の信者と共に、数十人のたいまつを持った祭官が、行列になって町を進み、和知川を目指します。人型の入った壺を抱えた瀬織津姫も一緒です。川でその行列を待っていたのは、教主さまで、祭官と共に橋の方へ進まれました。そこから、祭官は、人の霊を潔斎するため、悪霊から人を守るため、川面に一人一人を表している人型をふりまくのです。

 節分の夜の並外れたエトス(気品)が私を駆り立てのでしょうか。人生で初めて短歌を作りました。
  節分の  
  雪花かがやき  
  聞く祈り
  暗やみに、ほら  
  白き人型

 お祓いの儀式を、大本の人達は様々な形で実践しています。手や口をつくばいで清める事なく、神殿に入る事はありません。神殿の入口で、まず靴を脱ぎ、祭官にお祓いをお願いします。お祓いには大麻(おおぬさ)が使われます。大麻は、先端に紙の筋の束がついた棒です。まるで、ほうきのようであり、火を象徴しています。

 ドラ(ゴング)の大きな音を合図に、祭典は始まります。まず、女性の集団が入ってきます。皆、八雲琴と呼ばれる楽器を抱えて。その2弦の日本の伝統楽器は、出口王仁三郎の提唱により、1909年、綾部に最初の礼拝所が出来た時、大本に導入されました。その10年前、若い学生、田中緒琴は、大本についての講話を聞き、大本運動に参加していました。そして八雲琴の音楽に魅了されたと言われています。後に、彼は、優れた師匠の元で八雲琴を学び、彼自身がその道の達人となりました。田中緒琴の指導のもと、3代教主、出口直日自身も稽古に励みます。現在では、いかなる祭典も八雲琴の(注1)金属音なしでは成り立ちません。まして、節分大祭はもちろんです。

 音楽が、祭官、瀬織津姫の厳粛な入殿を導きます。彼らは、祭壇正面に集まり、大麻の修祓を受けます。祭官の1人が、参拝者でいっぱいの大広間の方に向かい、同じように参拝者をお祓いをします。神道の概念によれば、人は神の子であり、その本性は清らかで、善であります。しかし、現世の体験によって、様々な悪の側面に出会わなければなりません。その影響が、ほこりにまみれた汚れの本性形態にしみつきます。それゆえ、人間の生活は、接触感染との戦いで、ある意味、だれもが避けては通れないのです。そこで、たえず、繰り返し、潔斎は求められています。大潔斎神事は夜通し続きます。
大本信徒は、祈りでもって、自分自身、自分自身の家族、そして全宇宙の潔斎にお仕えします。節分大祭の潔斎神事は、2人の女性によって能の形でも行なわれます。1人の女性は鈴を持って、お祓いの身振りを行い、もう1人の女性は、別の種類の象徴的なお祓いの道具を用います。

 大本の祭典は、その他のすべての神道と同じように、通常4つの儀式によって成り立っています。修祓の儀式に加え、献饌、祈り、そして祝宴(直会)が続きます。
 献饌ー献饌は、神様に、土や海からの産物をお供えする儀式です。木製の盆(三方)の上に食物が芸術的に盛りつけられています。それを祭員が次々に手渡していき、最後は祭壇の上に置かれます。節分大祭では、およそ20名の祭員によって献饌が行われます。祭員は神前を、同じリズムで、前に、後ろに動き、つぎつぎと盆(三方)を渡していきます。まるで、エレガント(優雅)なダンスを見ている印象です。八雲琴のメロディーが献饌の動きにそって流れます。
 大本では、プロの祭官の階級は存在しません。女性を含め、すべての大本信徒は祭式を学び、それを実践することができます。出口王仁三郎大本教祖は、神道の伝統を基礎に、祭典の形式を体系化しました。神道の祭式とは全く同じではありません。たとえば、大本信徒は祝詞奏上の始めと、終わりに4拍手します。一方、多くの神道の祈りでは、2拍手が一般的です。
 手で拍手する行為は、神道で崇拝を表す特性の1つです。拍手によって、神を讃美し、自身の喜びを表現します。重要な大本の宗教祭典では、祭官は絹の長衣(ガウン)をまとい、烏帽子という漆塗りの高帽子をかぶります。この祭服は元来、中国唐の時代に宮廷で流行っていたもので、平安時代(794年〜1192年)、宮廷で同化されました。

 大本祭典のもう一つの儀式は、玉串捧奠と呼ばれる、松の枝をお供えすることです。日本の1本の松葉には2本の薄い針葉があります。大本では、松は、常緑で、変わらぬ真実と誠実、あるいは、長寿の象徴と考えられています。松の枝は、白く細長い紙で装飾されています。儀式の中で松の枝は、霊界での家を象徴し、白い紙は、霊的衣服を表しています。玉串捧奠は、まず斎主によってなされ、選ばれた信徒あるいは来賓によって行なわれます。光栄にも、私はその役に選ばれ、玉串捧奠を数回させていただきました。祭典の重要な要素は、祈り。その祈りの主なるメッセージは世界平和と人類の幸せです。冬の祭典、節分大祭には収穫豊穣への祈りも含まれています。

 教主さまが祈りの先達をされ、信者すべてが、そのリズミカルな祈りに続きます。潔斎神事は大祓と呼ばれています。信者は、一晩中祈り、春の初日、立春を待ちます。神道の聖地、伝統を重んじる家族では、宗教的、民間伝承的儀式が実践されます。家々では、悪霊を追い出すため、炒り豆がまかれます。そして、新しい季節、新しい年を迎えます。

 節分大祭は、大本信徒にとって別の意味で重要な意味を持ちます。信者は信じています。1892年、ちょうど春の始まる日、出口直大本開祖に神の霊がかかります。大本の聖なる書き物(お筆先)のはじまり、そして大本の誕生。これらは、綾部で始まったので、大本信者は、(注2)綾部を自分達のエルサレムと考えています。

 大本の霊的首都は、京都府の中央、丹波地方に位置しています。その地方の名前は丹波連山に由来し、あたかもその背骨が、3つの盆地を結びつけ、そこには大本信徒にとって重要な市があります。すなわち、綾部、亀岡、福知山です。ゆるやかな傾斜、緑燃える山、清らな川の流れを持つ丹波山岳地帯は、心の安らぎ、恩恵を住民に与えます。
 近くの山の上から、壮大な綾部市のパノラマが広がっています。山の裾野には、大本の精神的中心地があります。そこには、大本の堂々たる建築複合体、梅松苑があります。この名前(梅、松、苑)は梅の木と松を象徴しています。苑内全体は13,3ヘクタールの広さで、多種の樹木があります。その中心を、神殿複合体の長生殿が占めています。長生殿とは、永遠の生命の祈りの場を意味します。私的な組織が実現した事実を考えても、その建設を人は(注3)ファラオ(エジプト王)の大事業と呼べると思います。建設は、1984年、出口直日3代教主によって着手されましたが、その計画はもっと以前からありました。建設には8年が費やされ、当時の換算で1億ドルが使われました。

 1987年、私は初期の建設状況を、ポーランドテレビのチームと共に観察する事ができ、巨大な樹木の幹が水に浸されている姿に驚嘆しました。その堂々とした材木は、杉と檜で、平均して樹齢300年のものと説明されました。特別な許可を得て切り倒され、数百キロの距離を運ばれました。材木は腐食に対する抵抗を強めるため、水の中に数年間放置されました。
 3代教主、直日は長生殿の完成を見ることはありませんでした。完成の2年前に他界されます。新しい神殿は、1992年、出口聖子4代教主によって竣工式がなされました。大本教団100周年の記念の年でした。

 22年後、私は2度目の綾部訪問で、複数の建物がある梅松苑を上から、そして内から賞賛する事できました。全体で、長さ110メートル、幅220メートル。 完全に仕上げられた4,767㎥の木材を近くからじっくり観察し、大工の職人技を驚嘆する価値はあります。その技で、多くの材木が釘一本使わずに、美しい形で組み合わされることに成功しました。大本本部、綾部の建物は、完璧に自然と調和する伝統的日本建築を代表しています。

 長生殿を鑑賞すると、その屋根の輪郭が、背景の山の背骨に平行である事に気づき、目を見張ります。その事実は、大本四大主義の1つで、調和の道として理解される「統一主義」を反映しています。統一主義は「まつり」という言葉を用いても表現されます。「まつり」は通常の使用では、宗教的祭典、あるいはそれぞれ別の祭りの形態を意味します。しかし、元来の意味では「まつり」は、釣り合い(バランスをとる)で、たとえば、天と地、神と人、あるいは全体と個の関係形態です。

 大本のもう一つの大きな主義は楽天主義と呼ばれます。それは、まるで意図して、エスペランチストにあてはまります。希望は希望を生み、悩みは悩みを招く。希望を持って勇気を持って生きなさい。また別の主義は、「進展主義」で、社会をより良くする道として理解されています。古い中国のことわざでも同じように、聡明に詩的に日は別の日に続く、しかしそれぞれは新鮮である。(日々新たなり)出典「大学」/その新鮮さに気づき、従う事、しかし「清潔主義」の原則を守って従う事が必要です。すべての4つの大きな主義のうち、最初に位置するのはまさに清潔主義です。理論的な発想(思いつき)ではなく、自然の中で遵守できる多面的事実です。清潔主義におけるすべての要素ー風、水、火は、清潔にする道具の役割を果たします。海を見てください。海は清潔でない物を吐き出します。同じように、人体でも排泄が人を清浄にします。
 自然の自浄メカニズムは、その他の大きな主義の働きを可能にします。第一に、世界の調和を確かなものにしてくれます。しかし、人間は間違った方向へと進んでいきます。人は自己の個人的衛生に注意しますが、同時に、常に、より広範囲の汚染を引き起こします。自然が、もはや耐えることが出来ない程度まで。その残念な事実が、人間界の霊的領域の中で動揺や不安となるのです。大本は人類に呼びかけます。
自己の心を清めなさい。(御魂を磨きなさい)世界平和の基礎は清め(御魂磨き)にあります。

 節分大祭は四大大祭の最初にきます。(一番大事)です。というのも、実にすべては祓いから始まるからです。その目的で、多くの人々は、綾部梅松苑の聖地へやってきます。もっとも聖なる地は、本宮山で、そこに建設されていた長生殿は、1935年、完成前に破壊されました。もう本宮山に登る事はできません。もう一つの聖なるものは、古い井戸と記念の石がある「元屋敷」です。そこには、大本開祖出口直が、長年過ごした家があり、そこで開祖は帰神しましたが、それ以前から開祖は自分を清めていました。
 開祖は神の啓示を聞きました。神の世になりたぞよ。梅で開き、松の色で続くぞよ。その出来事を記念して毎年、綾部で節分大祭が行なわれます。
(続く)第4章